願い-それは子供達が「幸組」への道を歩むこと

日本の社会が進んでいる道

常にその思いが頭の中にあります。

学志舎に縁があって、通塾してくれる子供達にどうあってほしいか、どうなって欲しいのか。

サブプライム問題に端を発した経済不況は、世界に広がりました。

トヨタショックを引き起こし天下のパナソニック・ソニーでさえ赤字となる、そんな時代を迎えました。

人員整理・ワークシェアなどの言葉が新聞の紙面を賑わしています。

また昨今、新聞やTV、雑誌で「2極分化」「勝ち組・負け組」という言葉が多く見られます。

過去のニュースでは、年収200万円以下の方が1000万人を越え、

年収1000万円以上、とりわけ2000万円以上の人たちが特に増加しています。

いよいよ日本も一億総中流社会から、米国型の格差が大きい社会へと移行しているようです。

すなわち「2対8の法則」の社会化が確実に進んでいると言えましょう。

「2対8の法則」とは自由主義・資本主義社会では、自然と上位2割の人間が

8割の富を所有するという法則です。

例えば、人口が100人の国があったとしましょう。そして国民総所得が1000万円の場合、

上位20人が8割の80万円を取得するので、彼らの平均所得は4万円です。

下位の80人が残りの20万円を分け合うことになるので、一人平均2500円。

実に16倍の格差がつくことになります。

今の子供達がこれから生きる日本の社会では、上位20%に入っていないと

語弊があるかもしれませんが、幸せな生活はできないかもしれないのです。

今までの中の上クラスの子供達でさえ、将来確実に下位の80%に入ってしまうのですから。 

他国に追い越されていく日本の子供達

国内でそのような状況が生まれつつある中で、国際的にも暗い影が忍び寄ってきています。

一昨年までにOECD(国際経済開発協力機構)などの発表で、日本の子供達の学力が

他国に抜かれていくといった状況が明らかになってきました。

私たち今の大人の時代はまだいいかもしれません。

しかし、就職して世界各地に転勤していく時代、日本人とかアメリカ人とかではなく、

国の垣根がとっぱらわれ、地球人として生きていく時代の子供達、孫の時代では、

この現実は見逃せないものがあります。      

数学 読解力     科学
2000年  1位  8位 2位
2003年  6位 14位 1位
2006年 10位 15位 5位


特にビデオゲームや携帯電話やDVD等の低年齢層への普及、

絵本や児童文学書の使用低下などの原因でスコアがベスト10落ちをしている読解力。

もともと日本の子供は諸外国と比べ、数学等の能力は高いが、読解力が低い傾向にありました。

これは上記の調査結果に表れている通りです。

理由は学校教育において、計算ドリルや漢字練習の時間の割りに

読解力の訓練や読書の時間が少ないことや、日本の国語教育において文学鑑賞の要素が強く、

論理的な文章構成力や、読解力の訓練が少ないためと考えられています。

また、数学の順位の低下は目を覆いたくなるものあります。

これも文部省の迷走が引き起こした結果と言っても過言ではありません。

また大阪府の橋下知事が、バッシングされながらも懸命に訴えているように、

学力低下の背景には、各地方の教育委員会にも大きな問題があります。 

大方の保護者の方が、もう公教育に任せてはいけないことに気づいているようです。

今のままの教育でいいのだろうか?

ではこれからの子供達の教育はどうしたらいいのでしょうか?

学校でも塾でも家庭でも、単に知識を詰め込んで、子供達の成績を上げればいいのか?

否、そんなことだけでは簡単に解決はできません。

こういう話があります。

日本の最高頭脳、東京大学の学生と、夜遅くまで練習をして

お世辞にも成績は優秀とは言い難い甲子園出場組の学生とでは、

企業に入社した後、どちらが出世したか?管理職に限っての話ですが。

1点でも多く、1ポイントでも高い偏差値を狙う東大生ではなく、

1㎝でも遠くのボールを取るために、ノックの玉に横っ飛びする

1mでも遠くにボールを飛ばすために、夜遅くまで素振りをする

チームメイトとの友情厚き甲子園出場組みだったのです。

もちろん成績は良いにこしたことはありません。

しかしそれがすべてではないということかもしれません。

大切なことは

一生懸命に物事に取り組めるかどうか。

生まれ持った自分の力を出し切ることができるかどうか。

もちろん学志舎は塾ですから、生徒の成績を上げるということについては

当然のこととして取り組んでいます。

しかし、子供たちに口をすっぱくして言うことは、

「その成績・点数までの過程がどうであったのか」ということなのです。

昨年、開校以来の念願であった、岐阜新聞テストで県ベスト10に入る

生徒が育ってくれました。(県6位)

彼は中学1年の1学期末テストで470点を取りました。

2学期末の目標店を470点に設定したときに事務長は彼を叱りました。

(「叱る」とは相手のことを思い、客観的に、冷静に伝えること。「怒る」とは違う。)

「あなたの持っている力は本当にそこまでなの?」と。

彼はしばらく考え480点に目標を修正し、見事達成しました。

1年の1学期のテストは易しいことを考えると、

同じ点数を目標点にすると言うことは実質30点アップすることです。

さらに彼は2年後の校内実力テストでは496点をたたき出しました。

学志舎での彼の470点は合格点ではなかったのです。

いや、表向きの点数より「自分の力を出す」ということに価値観を持たせたかったのです。

さらにいえば、岐阜高校に行くことが彼の最終目的ではないということ。

彼はもちろん2年生の途中からは学力テストでは偏差値70を越えていました。

しかし、1年生の頃はそうでもありませんでした。

「何点取ればいいの?」ではなく「自分のもっている力をどれだけだせるのか」

そういう価値観をもち、たゆまぬ、地道な努力をした結果の496点なのです。

「もともと頭がいいんだろう」と言う友人もいるそうです。

しかし彼はそう言われると

「僕はやるだけのことはやった、努力した。そういうことを言う前に、

僕と同じだけの努力をしてみればいい」

と心の中で思うそうです。

彼のご両親と話をしてみると、やはり点数は結果であり、それよりも

「そのテストに対してどういう気持ちで、どのように向かったか」にこだわりを持っておられます。

そしてお母さんは私にこのような言葉を教えてくれました。

「子供は大人の言う通りにはならない。大人のする通りになる。」

ですから学志舎では何点取ればいい、とかは一切言いません。

470点でほめられない生徒もいれば、400点を取って「よく頑張ったね!」と

思いっきり褒められる生徒もいるわけです。

生まれ持った素質はみな違うのですから。

努力して、自分が与えられた責任(素質)の範囲を全うできるかどうか、

それに尽きると考えています。

これからの教育はどうすればいいのか

日経新聞に過日このような記事が載っていました。

『真のゆとりが生んだ18歳の天才プログラマー』 

史上最少年で情報処理推進機構(IPA)により、昨年天才プログラマーとして認定された

上野康平氏(千葉大学理学部2年)は、小中学校時代を米国で過ごし、

帰国後高校2年で大学に飛び級入学視した。

こうした天才が育った背景には、米国での科目別の飛び級制度や

自由な課題学習などの「真のゆとり教育」があったことを指摘している。

上野氏へのインタビューで注目すべきは

①小1からプログラミングを独自に学習していた

②英語がとても重要だった(英語で情報を読めないと、低レベルな情報しか取れない)

③ネットよりリアルコミュニケーションが大切

 (IT分野のずば抜けたエキスパートとのリアルな交流がヒントを得る上で重要)

の3点。

また、NEC総研の成川氏は「これから必要な3つの言語」を指摘しています。

①英語

②機械語(コンピュータ・プログラミング言語

日本語(国語)

①②の根本に、想像力、思考力、表現力の基礎としての「国語」をあげています。

どうやらこれからの教育で必要なのは、単なる知識の詰め込みではなく、

自分が本当に夢中になれることを探すアンテナを持てるように、

自分でドンドン学ぶ方法を身につける(自立学習)、

自分の考えを述べ、人の意見を聞き、再構築するという

コミュニケーションのトレーニングにあるようです。 

以上のことを踏まえて・・・

すなわち大切なことは3点

①英語の重要性はもちろんのこと、すべての基礎となる国語力の育成。

②学年にとらわれない、一人ひとりの素質に応じた学習内容

③押し付けず、与えすぎず、自学自習できるようになること。(子供の自立)

学志舎では個別対応の塾として、以上の3点に注力しております。

小・中学生に好評の、学志舎の国語力アップの看板講座である「ことばの泉」のほかに

受験界のカリスマといわれる出口氏の「論理エンジン」コースを設置しています。

また中学生の宿題に、「読解の名人」を組み込むことで、国語力・読解力を高めています。

すべての課目の根本である「国語」にさらに力を入れていきます。

また今年は年長さんから小4までの新コース、「エジソンクラブ」

豊かな創造力をはぐくむ「ロボット教室」を新設いたします。

また小中学生の理科実験教室も継続して実施いたします。

中学生は映像を使った授業の強化をいたします。

さらに定期試験対策をさらに充実させるべく、80点以上を目指して段階別の課題が出されます。

高校生には「京大個別会」を導入しました。

京都の本部と学志舎をTV電話でつなぎ、センター試験で9割を取る現役京大生から、

ホットで生の受験情報をもらえます。

また勉強を教えるだけではなく、モチベーションを高めてもらえます。

以上を通じて、学志舎は小・中・高一貫の塾、

いや年少さんから大学受験まで安心して任せてもらえる塾造りを目指します。

また、塾長・事務長は(社)日本青少年育成協会の認定教育コーチの資格を取得し、

教育コーチングでは県下の他のどこの塾の追随も許しません。

また教師には最低でも教育コーチG1グレード講習を終了させ、

教育コーチングを実践する塾として岐阜県の最先端に立っています。

コーチングの目的・・・それはもちろん「子供達の自立」です。

学志舎の塾としての考え方

縁あって通塾してくれる生徒が、上位2割に入れるために最大の努力をいたします。

学志舎の教育の根本にあるものは、数年後には立派な大人、20%に入れる大人

になれる人間をいかに育てるかの意識を持って子供達の指導に当たることです。

子供を育てる、というより近未来の大人を育てるという意識です。

受験でも何でもいえることですが、基本的には他人との競争ではありません。

北京オリンピックでソフトボールで金メダルに輝いた日本のエース

熱投413球でおなじみの、上野由岐子投手はご存知ですよね。

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上野投手は小学校3年生のとき本屋で一冊の詩集を見つけました。

その表紙に書いてあった詩のインパクトに打たれその詩集を買ったそうです。

その表紙に書いてあった詩とは

 人に負けてもいい

 しかしやるべきことをやらない

 自分の弱さだけには負けたくない

そしてつらい練習や苦しい局面にも、「自分のやるべきことはできているか?」と

結果よりもまず、自分が納得できるまで力を出し切れているかを考えるようになったそうです。

すべてが自分との戦い、すなわち誰もが持っている弱い心との戦いであり、

それに勝利することが、そして何度も言うようですが

個々の力(素質)を出し切ることが、伸ばすことが大切なのです。

 

しかしやみくもに「伸ばす」「出し切る」といってもある程度の目標、

数字の指針 は必要かと思います。

学志舎では80%以上の理解を目標とします。

例えば漢字検定。

1級・準1級は8割正答で合格となります。

8割という線が、分かった、理解した、覚えたという基準と考えます。

英語検定の5級などは、5割ちょっとの正答率で合格してしまいます。

ぎりぎりで合格した生徒に感想を聞くと「分からなかったけど合格した、よかった~」

これではなんともなりません。すなわち80点以上。まずは8割理解をする。

しかし、5科目で400点以上というのは目安であり、

取れなかったらダメなのかというと、そうでもありません。

そこの域を目指す向上心と行動力が大切なのです。

何度も言うようですが、8割以上を目指して自分の力を出し切る。

そこに向かって一生懸命に頑張ること。

子供の素質は、生まれ持って走るのが速い遅いがあるように、

歌を歌うのが上手、下手があるように、学習面でも違いがあります。

そしてそれは神のみぞ知る世界だと思います。

過去の例では、入塾前の定期試験270点台の生徒が、1年後の第4回岐阜新聞テストで

425点を取るまで頑張ったり、(青山中学女子)

入塾前の2年3学期待つテストで280点台の生徒が1年後には453点まで頑張ったり(長良中学男子)、

我々の予想を上回る驚くような伸びを見せることがあるのです。

さて、400点以上の生徒で450点とか470点の壁がどうしても破れない生徒は

考え方を変える必要があります。

9割以上の正答率の場合、点を積み重ねる(下から見る)の意識から、

満点からいくつミスしたのか、何点取りこぼしたのか(上から見る)という考え方。

すなわち完壁にすることが当たり前の意識です。

いつまでも下から見ていたのでは壁は破れません。

意識改革をすることで、案外簡単に壁を破る例も多いのです。

(期末試験・入塾前440点→入塾後471点 その後岐阜新聞テストは4回とも450~460点台 伊奈波中男子) 

 

さてここからが一番大切なことです。

伸ばした素質は、自分のためということはもちろんですが、人のためにも役立てること。

なぜなら人は決して自分ひとりでは生きていけないのですから。

家族をはじめ、周りのみんなに支えられて生きているのです。

そしてその人たちに感謝の念を持つことが大切です。

上位20%に入る人間には、その努力の恩恵を受ける権利と、

その努力の結果伸ばした能力を、人のために役立てる義務があると思います。

そのような責任を立派に果たせる、近未来の大人を育てることこそが、

教育に携わるもの者としての使命であると考えます。