教材
教材の考え方で最も大切なことは
塾で「どんな教材を使っているか」ではなく
生徒に「どんな教材を与えているか」だと思う。
我々は塾であって、教材屋ではない。
基本的に教材のプロが作ったものを、チョイスして使っている。
ハッキリ言って、色々な会社の教材があるが、
会社によって同じ科目で10点の差がつくはずはないと思っている。
例えば、数学が苦手の60点の生徒に通年教材を与えたとして、
A社のテキストだと75点に上がり、B社だと60点のまま。
ありえない。同種のものならばせいぜい5点くらいの差か?
そういう教材(後者)を作っている会社はつぶれるはずだ。
もちろんその5点をないがしろにするわけでない。
その5点のために、我々は様々な教材を吟味する。
また、北は北海道から、南は九州まで、私が所属する
「21世紀の教育を考える塾の会」の会員を中心に情報が入る。
全国200の塾の心強いネットワークである。
例えば、今春はテキストを発注直前のこと、
関西の会員の塾長から、いいテキストがあるとの電話が入った。
即座に、情報の発信源である金沢の会員の塾長に電話して、内容とその会社を聞く。
そしてその会社から急遽見本を取り寄せ、中身を確認して、英・数に関してテキストを変えた。
おそらくこの教材は、岐阜市ではまだほとんどの塾が使ってないと思う。
我々は塾であって、教材屋ではない。
しかし、塾として最善を求めて吟味した教材を使うのが当たり前のことである。
だから3年も4年も同じ教材は使わない。
いくら良い教材であっても、いつかはそれよりも良いものが出るのは当たり前の話である。
教材に対しての考え方の本質はここからである。
私の塾は個別対応。
個別であるからには、画一的なことはしない。
よってテキストも、小・中ともレベルによって3段階用意してある。
生徒によって使い分けるが、テキストを使わない場合だってある。
学校の教科書準拠の教材を使わず、ハイレベルな教材を与える場合もある。
英・数では平均点以下の生徒にテキストは与えない。
教科書と学校のワークが完璧であれば平均点は取れるはずだ。
そんな生徒にテキストを与えれば消化不良になるのは当然である。
だからテキストを購入していただいた親御様には申し訳ないのだが、
テストの状況如何では、年度の途中でもそのテキストの使用をやめ、
教科書と学校のワークのみの学習に専念することもある。
その逆に、年度途中でレベルアップのテキストを購入いただく例もある。
また450点を超え、準拠の教材では物足りなくなった生徒には
それなりのハイレベルのものを与える。
彼らは知的好奇心の塊になっているから。
成績が上がらないといって転塾してくる生徒に、
驚くようなテキストを使用している場合が見受けられる。
私ならば、400点以上にならないと使わせないような
レベルのテキストを、平均点クラスの生徒が使っている。
「分かる?」「ぜんぜん」当たり前の話である。
その子のレベルに合わない問題を「これやらんでいい」「あれもやらんでいい」というと
「本当にやらんでいいの?」といってニコッと笑ってやり始める。
断っておくが、これは塾が悪いわけではない。
特に一斉授業の塾は、その塾に生徒があわせなければならない。
合わない内容の塾を選び、通塾させた親に責任がある。
友達がいるからと言って、分からないまま塾を選んだのなら子供にも責任がある。
どちらにせよ一斉授業の塾には責任は無い。
しかし、個別指導塾なら話は別である。
近年「個別指導」を謳っている塾からの転塾生に、
この例が多くなってきたのには首をかしげる。
その子のレベルに合わない、テキストを与えるなんていかがなものか?
また教科書の内容も全く理解不十分な生徒にテキスト使用させ、
消化不良にさせているのはどういうことか?
このテキストを頑張って解けるようになれば90点とれるよ!
とでも言っているのであろうか。
よく聞く話ではあるが、病気で衰弱した人間に、精がつくからといって
血が滴るレアのステーキを与えても食べれるはずが無い。
重湯から、おかゆに。そして消化の良い普通食へ、さらに・・・。
たしかに「個別(一人ひとり)で指導(教えている)をしている」
と言われればそれまでかもしれない。
しかし個別指導の塾と一斉授業の塾の決定的な違いは
個別で対応することにあるのではないだろうか。
私は今までそれが当たり前であると思っていたが、
どうやら、個別指導と個別対応は別物であるようだ。
教材は「どんなものを使っているか」はもちろん大切であるが、
それにもまして「どんなものを与えているか」がより大切である、
と思っている。
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- by 学志舎
- at 10:58
