素質の意味を考える
学問における「健全な競争」のために避けてはいけないテーマがあります。誰もが分かっていながら声に出せずにいる命題です。
「成績の大部分は素質で決まる」
これです。
スポーツで言えば、「日本人は、どう頑張ってもカール・ルイスにはなれない」ということです。こちらは誰もが平気で言います。かけっこでビリになった我が子には「しょうがないよ」となぐさめても、こと勉強に関しては「やればできる」と言ってしまいます。
足の速い・遅いがあるように、歌の上手・下手があるように、背の高い・低いがあるように、数学の得意・不得意という素質の差は厳然とあるのです。それを、ごまかしたり、隠したりすると「運動会のかけっこ」になってしまいます。
大切なのはここからです。「自分は素質がないから勉強するのは無駄」なのかどうかです。
カール・ルイスは、オリンピックの陸上でいくつもの金メダルを取ったヒーローです。世界中の人々を感動させました。彼は、確かに恵まれた素質を持って生まれたと思います。では、人々は彼の素質に感動し、拍手を送ったのでしょうか。
我々は、彼の100m、10秒にも満たない走りの中に見ているのです。100分の1秒を縮めるために彼が行ってきた血のにじむような努力を。我々には決して真似のできない厳しい練習の日々を。もちろん、それを実際に見たわけではないのですが、無意識のうちに感じ取り、感動するのです。
例えば、身長が2メートル80センチのバスケットボールの選手がいたとします。彼にボールが渡れば敵はなすすべもありません。ゴール下に立ってパスをもらえばすべて得点。チームは連戦連勝……。みなさんは、こんな試合に感動しますか。何度も見たいと思いますか。
背が高いというのは素質です。しかし、素質だけで人を感動させ、行動に駆り立てる力はありません。我々は、その背後にある「何か」を感じるのです。時としてレベルの高いプロ野球よりも高校野球に感動することがあるのも同じ理由です。高校野球のほうが、その「何か」が見えやすいのです。
学問においても理屈は同じです。取った点数に人は感心こそすれ感動はしません。その過程に価値があるのです。80の素質の人が90を目指すのも、50の素質の人が60を目指すのも価値に変りはありません。その10点分が、今回お話の共通テーマである「学力」「努力」につながっているのです。
私たちは「90点取れるから勉強しなくてもよい」という考え方を否定します。同様に「どうせ50点しか取れないから頑張るのは無駄だ」という考え方も否定します。
本当の競争相手は自分自身です。「健全な競争」は、そのことを気付かせるためにも重要なのです。
- by 学志舎
- at 2007年06月12日
