なぜ勉強は必要か

 

子供はみんな疑問に思っています。この疑問を解決しない限り子供は学習意欲がわきません。

 

「こんな勉強、何の役に立つの?」

 

皆さんはどう答えますか。「将来のため」「自分のため」は失格です。答えは二つです。

 

一つは「学力」の向上のためです。勘違いしている方が多いのですが、学力と知識は別物です。漢字は表意文字ですので訓読みすると意味がはっきりします。学力とは「学(まな)ぶ力」のことです。自分にとって必要な知識、技術、技能を自ら学ぶことのできる能力、それを学力と言います。学力がなければ人間の進歩、成長はありません。勉強は第一義的に、この学力を向上させるために必要なのです。

 

国語や数学といった教科は学力を向上させるための手段、道具にすぎません。その意味では、冒頭の子供の疑問は訂正されなければなりません。子供は次のような意識で質問しているのです。

「こんな知識、何の役に立つの?」

これなら答えは簡単です。

 

「まあ、クイズ番組に出るとき役に立つくらいで、実際は、ほとんど役に立たないね。」

 

子供はびっくりして反論するでしょう。「役に立たないことを学んでいるの?」ここが大切なのです。子供が反論できる答え、そこから親子の価値観のぶつかり合いが始まります。そうすることで初めて「でも勉強は必要だよ。なぜなら……。」という説得が子供に通用するのです。

 

お父さん、お母さんには、この学力と知識の違いを子供にちゃんと教えて欲しいと思います。

 

さて、二つめの理由は「人格」を向上させるためです。オウム事件以降、勉強することに対する風当たりが一段と強くなりました。お決まりの「知育偏重教育が…」という意見です。しかし、勉強を精一杯することで、人格が曲がったり人の道に外れる行為に走るなどということは決してありません。ただ、条件が一つ。それは、

 

「勉強を好きにならないこと」 

これです。

「勉強」という漢字を見てください。これは、「強いて勉める」と書きます。つまり、無理やり頑張ることです。

 

好きなことを何時間でもできるのは当たり前で、堕落こそすれ、人格が向上するということはありません。ゲームばかりをしている我が子を見て、「あの集中力が勉強に生かされたら……。」と言うお母さんがいますが、それは集中力ではありません。嫌いではあるが、自分にとって必要なので「嫌々」一日二時間の勉強をするところに意味があるのです。そこから、忍耐力や創造力、工夫が生まれます。ですから、「勉強好きな子供に育てましょう」というのは、聞こえは良いのですが間違った発想なのです。

 

仕事中毒という言葉があるように、勉強中毒があります。勉強していないと不安で不安で仕方がなくなり、一日中勉強するようになります。これは危険です。病気の一種と言っても良いでしょう。こうなると精神を病んでしまいます。勉強は、文字通り「強いて勉める」のが健全なのです。

 

勉強に限らず、スポーツでも芸術でも、自らの能力を伸ばすには、ある程度の「負荷」は絶対に必要です。甲子園を目指す球児達が毎日苦しい練習をしているように。腕力をつけるのに、ただ空中で腕を曲げ伸ばししていたのでは効果がないように。苦しい経験の積み重ねが人格を向上させ、ひいては社会から求められる人間を育てていくのです。何ごとにも逃げずに努力をしてきた人間というのは自然と分かるものです。勉強という辛い作業は、確実にそうして人間を育てていきます。

 

一言で言うと、勉強の目的は「生きる力」を身につけることです。子供たちに必要なのは学力であり、集中力であり、忍耐力であり……、「力(パワー)」なのです。勉強は、それを獲得するための大切な作業です。

 

知識や学歴には文字を見て分かるように「力」はありません。そして、今、子供たちに最も必要で、勉強を通して、あるいはスポーツを通して伸ばさなければいけない「能力」、それは「努力」です。

 

これも、ほとんどの方が誤解しています。努力は誰にでもできると。ですから、すぐに「努力すればできる」とか、「努力が足りない」とか言ってしまいます。

 

「努力」は「努める(がんばる)力」であり、能力の一つです。能力ですから走力や腕力と同様、個人差があり、訓練によって伸ばす必要のあるものなのです。勉強は、この「努力」を伸ばします。

 

では、これらの「―力」はなぜ必要なのでしょうか。それは、もう哲学の分野ですが、人を幸せにし、自分も幸せに生きるためです。ここでも個々の価値観が問われています.「自分は何をもって幸せと感じるか」。大いなる問いです。

 

勉強は学力を向上させるために必要

勉強は人格を向上させるために必要

勉強は努力を向上させるために必要

勉強は生きる力を向上させるために必要

―だから、勉強を好きになってはいけない