塾を利用すること

 

「塾に行かせているのに、ちっとも成績が上がりません」

 

これもお母さんからよく聞く話です。残念ですが、塾そのものに子供の成績を上げる力はありません。塾は「頭を良くする薬」を売っているわけでも、子供たちの頭の中をキコキコと改造するわけでもありません。実は勉強に限らず、スポーツでも芸術でも、自分の能力を向上させることができるのは自分自身でしかないのです。

 

例えば、巨人の松井選手が目の前で「腕の使い方は…」「バットは…」と言いながらホームランをポンポン打つのを見ているだけで、自分もホームランを打てるようになるでしょうか。ホームランを打つには自分が苦しい練習を続け、体力と技術を身につける必要があります。数学も英語も、人が解いているのを見ているだけでは自分が解けるようにはなりません。

 

では、塾とは何でしょう。それは、「金槌」です。

 

みなさんは釘を打つとき金槌を使いますね。中には手や頭で打てる人もいるそうですが、そんな特別な人でも普段は金槌を使うはずです。それも、小さな釘を打つときは小さな金槌を、牧草畑に太い杭を打ち込むときは大きなハンマーを使います。塾は、この目的に合わせて買ってくる金槌・道具です。そういった意味では、塾は参考書や問題集、あるいはコンピュータと同じ役割を持っているのです。

 

しかし、私たち塾は物言わぬ金槌ではありません。目の前の子供たちに積極的に語りかける金槌です。そこが、参考書や問題集と大きく違うところです。

 

誰もが次のような経験を持っています。

 

「先生が嫌いになると、その教科まで嫌いになる」

 

人間は感情を持つ唯一の動物です。そして、感情が行動意欲を左右します。ですから、得意だった科目が、それを教えてくれる先生によって嫌いにもなり、逆の現象を生み出すことにもなるのです。私たち塾は、確かに「頭を良くする薬」も「頭を改造する手術道具」も持っていませんが、様々な方法(もちろん塾によって方法は異なりますが)を駆使して、第4章で説明した「形」を提供し、子供たちの心に「意欲を生み出す種」を注入することができます。そして、それに水をやり、芽吹かせ、子供たち一人ひとりの成長を助けます。これは、如何にコンピュータが発達し文明社会が進んだとしても、変わることなく人にしか出来ない崇高な行為です。

 

そう、教育とは人と人との間にのみ成立するのです。

 

マラソンの高橋選手に小出監督がいるように、私たちは子供たちの学習を支えるベストパートナーでありたいのです。

 

少なくとも、私たちは子供たちの学力向上のための努力をけっして諦めることはしません。それが私たち塾人にできる社会貢献であり、存在意義だと考えているからです。

 

 

塾は頭を良くする薬は売っていない

塾は物言う金槌である

塾は子供たちに「意欲の種」を与え続ける