教育界の集団暗示

「日本は学歴社会だ。だから中卒よりは高卒。高卒よりは大卒。それもできるだけ良い学校に入って良い会社に入ることが幸せになる一番の方法だ」

 

これが一般的な学歴社会に対する認識でしょう。ところが、次のデータを見てください。これは、旧労働省が発表した「賃金構造基本統計調査報告書」に載っている「高卒の賃金を一〇〇としたときの大卒の賃金(全産業集計)」の国際比較です。

 

イギリス    214

 ドイツ      193

アメリカ    164

カナダ     162

韓国       161

オランダ   157

日本       125   (すべて1992年時)

 

これを見る限り、日本が他国に比べて学歴社会だとは到底言えません。企業の初任給が出身校で格差があるという話も聞いたことがありません。賃金格差は、あくまでもその人の働き(能力)によって生まれるのです。各種の国家試験においても、東大生を優先して合格にしているなどということはありません。

 

日本は「学歴社会」ではなく、世界でも類を見ない平等な「能力社会」なのです。

 

多くの保護者と話していると面白い現象に気づきます。お父さん、お母さん一人ひとりは「学歴など何の役にも立たない」と思っているのですが、同時に「私以外の他の人(社会)は、違う認識をしているのではないか」という疑いを全員が持っているのです。もう、集団暗示にかかっているようなものです。

 

そろそろ暗示を解きましょう。

 

日本は「学歴社会」ではありません。「能力社会」です。子供たちにとって必要なのは、学歴という薄っぺらなレッテルではなく、能力という確かな「力」なのです。

 

「日本が知育偏重だ」という主張が間違っていることは、前出のデータで明らかです。アメリカに比べて3分の2しか数学の授業のない国が、なぜ知育偏重なのでしょう。それどころか、戦後に限って言えば、これほど知育を軽視してきた国はないと言っても過言ではありません。

 

ではなぜ「知育偏重」「学歴社会」の幻想が、こうも強く根付いているのでしょうか。その原因は、マスコミと、そこに登場する教育関係者・有識者にあるようです。

 

数年前、ある新聞の特集記事の中で、「受験戦争」という大きな文字を見てびっくりしました。そんな言葉は、とっくに死語になっていると思ったからです。どこに戦争している子供がいるでしょう。少なくとも、私たちが関わった何万という子供たちの中には一人もいません。みなさんの子供は戦争してますか。新聞としては刺激的な言葉で注目を集めたいのでしょうが、これは読者をミスリードするだけです。そのうち「受験地獄」という本当の死語まで使いかねません。

 

また、同じ頃、当時の有馬文部大臣が日本経済新聞のインタビュー記事の中で高校受験に触れ、「長期の塾通いは絶対に良くない」と発言しています。続けて、「ある段階において1年なり半年なり、徹底的に試験勉強という訓練に耐えることも必要だが、それが5年、6年も続くのは異常なことだ」とも言っているのです。多くの塾関係者は、この記事を読んで目が点になりました。日本広しと言えども、高校受験のために5年も6年も試験勉強という訓練をしている塾はないでしょう。また、そんな子供もいるはずがありません。実際は、どの塾でも家庭でも「1年なり半年なり、試験勉強という訓練に子供たちをどう立ち向かわせるか」に苦心しているのですから。

 

つまり、大臣は現場を分かっていないのです。有馬氏は東大の元総長だったと思いますが、こうした人が平気で「知育偏重」「学歴社会」の幻想を撒き散らしているのです。この記事を読んだ人が、「うちの子はのんびり構えているけれど世間は違うんだ」と勘違いしても仕方がないことです。

 

日本は学歴社会でも知育偏重でもないことがはっきりしました。当然、その「弊害」など存在するはずがありません。「ゆとりの教育」を推進してきた背景理論は根底から間違っていたのです。

 

それでも、「ゆとりの教育」が教育現場の諸問題解決に一定の効果があったのならば救われるのですが、どうやらそれも怪しいのです。